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2016-09

修行では、どのように雑念を排するのか

 前回は、「指数関数的成長」を遂げるには、一段階ずつ常識もプラットフォームも改めてゆく必要がある、というイノベーションの話題を取り上げました。今回は、「心」のテーマに帰ってきたいと考えています。
Steve Jobsが「禅」を実践していたことは、皆さんもご存じだと思います。恵まれない境遇に育った彼は、大学中退後に友人とインドに旅行し、聖者と呼ばれたニーム・カロリ・ババに出会ったことで、人生観が一変、帰国後は「仏教徒」に変身していました。
 あの Stanford commencement で語った、”Stay hungry, stay foolish” にも、曹洞宗の祖、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師が説いた『愚の如く、魯ろの如く、よく相続するを主中の主と名づく』の影響が色濃く反映されています。またJobsは、伝記作家のウォルター・アイザクソンに、「ただ座ってものごとを見ることの重要性、そうすることによりストレスを開放できること、落ち着くことで直観が洗練される」ことを語っています。
 「禅」の教えを実践していた、トッププレーヤーは沢山おられます。アメリカ合衆国のプロ・バスケットボール監督で、(監督として)11度のリーグ最多優勝を誇るフィル・ジャクソンは「禅マスター」の異名をもっています。Googleで「喫茶去」を促し、リフレッシュできる社内環境を整備した元CEOエリック・シュミットや、臨済宗のお寺で得度した稲盛和夫などが頭に浮かんできます。
 その「禅」に関連して、修行にはどのような効果があるのか、何が変わるのか、何をポイントに取組むのかを考えてみたいと思います。

# 「今ここに集中する」
 今、こうやって原稿を打っている訳ですが、理想の形は、「自分の意識が、穏やかに出入りする呼吸を感じながらまた同時に、キーボードの手先の動作を感じている。周囲から聞こえてくる道ゆく車の音や、雨の音などを何も考えず単なる『音』として受け止めている。文章を作っていると、いろいろな過去の経験が彷彿されるのですが、特に判断することなくそのままの形で受け止めている」というものです。
 しかし、未熟な私としては、実際に色んな雑念が頭をよぎります。「あの件はどうなっていたか?」「そうそう、今日中にあれも片づけなきゃ」「今日の夕食は何にしようか」。。。といった事でしょうか?こういった雑念も頭をもたげそうになり、そこで考え始めるのではなく、そのままの形で受け止める。そして、今目の前のことに集中するのが、良い状況です。こうやって、過去・未来にとらわれず「目の前の事」「今」に集中するのが雑念を廃してゆくには必要になります。
「集中」といっても、人間一日に集中できるのは、実は最大でも2~3 時間と考えられています。ですから、その2~3 時間を何に充てるかという管理能力が問われる訳です。もっとも、毎日の業務の中で90%以上はルーティーン業務をこなす時間ですから、その2~3時間を仕事の中で innovative or challenging な作業に当てるのか、自己研鑽に当てるのか、はたまた自分でモチベーションの高まる仕事を生みだすのか、配分を上手くやらないと効率化は図れないでしょう。

# 「集中」の質を妨げるものたち
 その「集中」の質が、また問題なのです。人間という生き物は、欲・怒り・無知・自分勝手な思いこみ・傲慢さ・他人との比較・妬み・偽善などなどといった煩悩たちに翻弄されつづけているものです。だからこそ、宗教や禅が存在するのであって、何に心を集中するのかを方向づけ、その他の煩悩を打ち捨てるノウハウを我々凡人達にも教えてくれます。座禅を組んで、自分と静かに向き合ってみると、こういった煩悩たちが頭をもたげてきます。「無の境地」に至るには、修行という名の練習を繰り返してゆく必要があるのです。この忙しい時代に、普段から「何もしない時間」が存在することに一種の恐怖感を感じているビジネスマンも多いのではないでしょうか。「何もしない、何も考えない」習慣が全くなく、できるだけ短時間に多くの仕事をこなす「癖」が身についているだけに、次から次へと煩悩が現れてきます。
 そこで、考えないといけないのは、普段集中しているつもりでいても、バックグヤードにはこういった煩悩・雑念が次から次へと出現し、集中を妨げている、という事実です。このバックヤードの活動が、仕事の効率を下げているのです。そう、著しく下げています、しかしなかなか気付かない、見えないふりしています。しかも、心理学者カール・ユングが指摘したように、顕在化された意識の情報量 5% に対して、潜在意識の情報量は95%と、煩悩・雑念を溜め込むスペースが実に大量に、無意識下に存在しているのです。最近、禅やマインドフルネスがビジネスマンに人気上昇中なのはこの雑念をコントロールして、集中度を高め、業務効率を上げたり、創造性を高めたりする効果を期待してのことです。

# 意思とは無関係に感情に翻弄されている
 仏教においては、自らの身体の細部・感覚、そして感情へと純粋な意識を向けて観察することを念(サティ)と呼ばれます。この「念」が欧米に紹介されるときに、mindfulness やinsight と訳されたといわれているようです。マインドフルネスも仏教、禅に源流があるのですね。マインドフルネスが我が国に入ってくる際には、「気付き」という言葉が充てられるようになりました。’mindful of’ という言葉が ‘aware of’ とほぼ同義なので、このような結果になったのでしょうけれども、少しニュアンスがずれています。
 修行、禅などいずれでも、座禅を組み、瞑想の時間を取り、煩悩・雑念にまみれた自分と向き合います。目まぐるしく煩悩の火に焼かれるかのごとく生きているのが平均的人間の姿と思います、心静かにしようとすると、ありとあらゆる感情・煩悩・雑念が頭をもたげます。それこそたった数分の間に、ないものねだりの欲望を抱き、それが叶わぬことに苛立ち怒り、かと思えば、自分に言い訳をして安いプライドにしがみつき、どこかの誰かと自分を比べては妬み、といった具合ですね。

# 何をポイントに雑念を廃するのか
 では、どうやって対処してゆけばいいのでしょうか?それには、そんな自分を否定することなく受入れ、頭をもたげた感情を受入れ、それ以上取り上げることなく、考えを巡らしたり判断したりしない、という練習を繰り返してゆきます。その結果、バックヤードの活動を鎮めて、高い質の「集中」を獲得してゆく、ということです。勿論、言うほど簡単にできるとは思いませんが。
 では、何故「念」「気付き」が重視されるのでしょう。
それは、人間が感情の動物であることに由来しています。人間(動物でも同じと思いますが)、事実を見て、何が起こったか考え、理解し、対応を考える前に、感情が反応してしまうからです。典型的なのは、危険(天敵の肉食獣等)に出会った時には、交感神経緊張状態になり、Fight or flight(戦うか、逃げるか)という反応する身体になっています。肉食獣を前にして瞬間的に反応できなかった個体は、捕食され淘汰されてしまった結果なのです。かように、人間は理解する前に感情が動いてしまう定めを負っているのです。
 皆さんも試しに、どんな些細なきっかけであるにせよ「イラっ」とすることがあるなら、イライラの感情に少しでも早く気づくように、努めてみてください。イライラのきっかけは、たとえば「出かけたいのにお天気が悪い」であっても、「仕事が思ったよりスムーズにいかない」でも、あるいは「家族が何か余計な仕事を増やした」でも何でも構いません。要は、「少しでも早く気づく」ということです。裏を返しますと、イラっとし始めてから瞬時に気づくこともあれば、イラっとして2~3秒して気づくこともあれば、1分くらい経ってから気づくこともある、ということなのです。
 人間には「自分が何を感じているのか知らない時間」がある、「何も感じていないつもりなのに、実は感情が反応していた」事に気付かされるでしょう。いかに心が、私たちの意識を置いてきぼりにして、不意に感情をつくり出している、という事を物語っているのです。「自分が自らの意志でイラっとしているのだ」というのは思いこみで、「先にイラ立ちが生じ」→「後から気づく」ことしかできないものです。

# 判断せずに、ただ「そこにあるがままに」眺める
 この感情に翻弄されないためには、煩悩が湧きあがってきたときに、判断せず、それ以上とりあわず、離れた所から「そこにあるがままに」眺める、ことです。
 第三者の立場で眺める。世阿弥・観阿弥の風姿花伝書にいう「離見の見」の境地とも本質的に同じでしょう。相手と口論になりかけたら、気持ちは後に退いて、(幽体離脱のイメージで)部屋の片隅から口論になりかけている自分の姿を眺めてみる。そこにあるがままに眺めることによって、感情が反応しないようにする、という事と同じ発想です。
 そのように繰り替えしていると、次々に湧き上がってくる煩悩に感情が反応しない/心奪われることなくなってゆくようになってゆくという訳です。禅の修行でも、「無の境地」というのでしょうか、5年も10年もかかって(しかも生活のすべてが修行、という環境でも)到達できる次元です。しかし、凡人の悲しいかな、「何かを得たい」「体得したい」と考えてしまうと、既にバランスが崩れます。頭の中はドーパミンの分泌が高まり、身体では交感神経優位に傾き、上に書いた fight or flight の状態に身構えてしまいます。
 座禅においても、瞑想に向かうに「呼吸に集中しよう」「身体に集中しよう」と、無意識レベルで集中を「得たい」と欲求しているせいで、多くの人が緊張し力んでしまうのも同じことでしょう。「無関心さ」が求められます。

 「感情が反応しない」という「非日常」を得ることが修行の修行たる価値でしょう。我々の毎日の生活で、誰でもやっていることと同じことをやっていては、差別化が図れません。こうやって、何か一つ「非日常」の取組みこそ必要だと思います。

 イギリスの推理小説家 アガサ・クリスティーは、「本の構想を練るのは皿洗いしている時が一番いい」と述べています。「気付きの欠落」に、日々の雑用をこなしていると簡単に陥ってしまうのですが、雑念に翻弄されないだけ修行(?)が進んでいるからこそ、皿洗いしながら他の問題の整理整頓ができる状況なのでしょう。

 今回は、内容が広きにわたってしまい、長文になってしまいました。最後まで目を通していただき、深く感謝申し上げます。


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プロフィール

scaramouche

Author:scaramouche
I am an Executive coach, Consultant and Negotiator working in Tokyo, Japan. In charge with develop people, leadership management and motivation management, supporting president level, executive level and organization level.
Concurrently a visiting lecturer/researcher in Ohmae Kenichi School of Business.

After earning MD and PhD in medicine, I experienced medical practice as an anesthesiologist and ICU expert followed by scientific research work of molecular biology and molecular genetics. Following academic experiences, I joined to a global pharmaceutical company, and experienced Drug Discovery projects, Biomarker works in global Biomarker group, and Drug Development projects in the global context of drug development. Through my medical and business career, I have shown leadership involving internal and external stakeholders to create the value of projects.

Specialties: MBA (Business strategy, Marketing, and People Development), GLLC Certified Coach, JCA Certified Medical Coach, ABNLP Certified NLP practitioner, JNLPA Certified NLP practitioner, JSNS Certified Negotiation analyst, MD.Sc, PhD (Medical), Faculty Fellow of Pharmaceutical Medicine, Certification by the Training course of Biomedical Ethics and Law (Tokyo University).

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