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2020-02

北朝鮮情勢

皆さま、いつもブログをお読み頂き有難うございます。
皆さまがあってこそ、何とか継続できております(よく間が空いてしまいますが。。。)。
北朝鮮問題が騒がしい月になってしまい、またblog が滞ってしまいました。
ここで、現状のまとめに、少し当blog でも言及してみたいと思います。

# アメリカは北朝鮮がICBMを手に入れるのを看過できない
 アメリカは、オバマ前大統領が「戦略的忍耐」で対応したために、ここまで北朝鮮のやったもの勝ちになったと考えています。北朝鮮がICMBを開発し、核弾頭を搭載できる技術(1トン以下に小型化すること。大気圏突入の高温にさらされても起爆できること)を手に入れるのが、絶対に許せない/越えてはならない red line になります。
 日本は、ノドン・テポドン開発により、とっくに射程圏内にはいっています。こんなにのんびりと構えていてよいものかと思いますが、通常ミサイルで原発を狙われても問題ですし、サリンや天然痘ウイルスが拡散してもたまったものではありません。まあ、理由なく撃ってはこないであろうと高をくくっているのでしょうけれども、今の状況で、アメリカの作戦に断末魔の叫びと何でもアリやってこられると、ターゲットは当然韓国と日本でしょう。もっとも、血の結束を誓った宗主国チャイナが、あっさりとアメリカに説得されて裏切った今となっては、中国に向けてミサイル発射する可能性もゼロではないかも知れません。

# 次の北朝鮮の行動
 今月初めの米中会談を通じて、習近平国家主席に北朝鮮を説得させる作戦が今の所機能しているようで、15日の金日正生誕105周年記念式典でも核実験は封印していました。中国が、「15日に核実験することだけは、やめておけ」と説得したのでしょう。とはいえ、核実験は一度準備してしまうと解体するのは至難の業で、結局は実施せざるを得なくなるそうです。
 この中国の行動は、当然ロシアにも睨まれることでしょう。
 となると、4月25日の軍の創立記念日に、何か主張するものがないと内政的/国威発揚には困ったことになるのでしょうけれども、太陽節に軍のパレードもやってしまったので、残るは核実験か、さてさて日本や韓国に核ミサイルを撃ってくるのか? さて、どうでしょうか?
 中国は、金正恩を亡命させようと説得しているのでしょう。さて、この気性ですから、国を離れ金王朝を捨てて、亡命を受け入れるのでしょうか?亡命先は、唯一国交のあるマレーシアという説もありますが、金正男暗殺したため、受け入れられないでしょう。後ろ盾の中国に亡命するのでしょうか?そうなると、中国が北朝鮮に新しい政権を擁立しようとするときには誰を指導者に選ぶのでしょうか?
 説得に失敗した時には、北朝鮮が先制攻撃にでるのでしょうか?相手がアメリカですから、圧倒的な軍事力の差にヤケッパチになって、アメリカの出方を見るまでもなく「何でもあり」作戦にでるのでしょうか?
 核ミサイルのスイッチは、金正恩以外にも6人押す権限を与えられているそうです。金正恩が暗殺されたり、亡命すると、それこそヤケッパチでミサイル攻撃をやってしまうのかも知れません。アメリカのサイバー攻撃は、ヤケッパチの最大一斉攻撃を失敗に終わらせることができるのでしょうか?何十発もノドンが飛来し、どの個体が核弾頭をもっているのか解らない状況になるでしょう。迎撃し漏らしたミサイルの中に、核弾頭を搭載している個体が入っていても不思議はないでしょう。
 もっとも、北朝鮮がミサイル発射する本数よりも、アメリカが空爆で落とす爆弾の方がけた違いに多いので、北朝鮮がミサイル撃つと、必ずアメリカ空軍の報復空爆で、平壌は全滅してしまうでしょう。北朝鮮は戦闘機をほとんど持っていないので、空爆に対して空中戦を挑めないのです。常識的には、こんな状況でミサイル撃ってこないと思いますが、金正恩は暴走すると何をしでかすか分からない性格です。
 なお、今月16日に北朝鮮が威嚇に失敗した中距離ミサイルは、アメリカのサイバー攻撃の結果とも言われています。北朝鮮としても、アメリカのサイバー攻撃の確認する意図があって、発射したのかも知れません。

# ここで北の核放棄ができるのか?
 かといって、ここで核開発を中止するよう説得できたとしても、口先だけというのがこれまでの経過でした。勿論、ロシアが全面的に技術協力していたからこそ、これだけ早く核ミサイル開発が進んでいます。北朝鮮の軍事力強化が維持されるかぎり、問題をこれ以上先送りするのはとても危険な判断だと思われます。一部にも、1994年にクリントン政権が、北朝鮮の核開発組織をぶっ潰すために、局所爆撃を計画した時に実行しておけばよかった、と悔やむ声があります。この時には、北朝鮮の報復措置により、ソウルが火の海になる可能性に対抗措置がとれずに、延期されました。ソウルは、38度線北朝鮮との国境から40km しか離れておらず、通常兵器による攻撃の射程距離に入っています。ソウルに駐在するアメリカ軍兵士とその家族に多大な犠牲がでるとの判断で、攻撃しませんでした。
 その後、北朝鮮はロシアに技術者を派遣し、核開発や軍事力開発を加速化させました。西側諸国の経済制裁は行われても、中国が何も対策しないので、北朝鮮の軍事力開発が進んでしまいました。
 となると、やはり北朝鮮に何か行動をとらせて、アメリカが金正恩の暗殺に動くというのが普通に考えられるシナリオなのでしょう。アメリカはこれまでにも、ベトナム戦争の時のトンキン湾事件のように、相手の先制攻撃をでっち上げて全面反撃に出るのが得意の作戦です。ブッシュ大統領も、大量破壊兵器をでっちあげて、イラクに全面攻撃をかけました。日本も真珠湾攻撃に吸い込まれてしまいましたが。。
 こういった歴史を見てきたからこそ北朝鮮は、先制攻撃に走るかもしれません。となると、日本はミサイルを迎撃できるのでしょうか?どちらかというと、アメリカのサイバー攻撃が機能しないと、核ミサイルが飛んでくる状況が現実化してしまうのかも知れません。

# 日本は準備ができているのか?
 もし、核ミサイルの飛来が仮に防げたとしても、日本にはまだまだ危機が残っています。一つは、北朝鮮の工作員によるテロでしょう。液体のサリンやVXを日本国内に持ち込んでいると考えられていますが、これまでにテロに慣れていなければ、経験もない、警察に対応を促すのでは余りに心もとない。。。と、悩みが尽きません。
 北朝鮮、韓国から押し寄せてくるであろう難民も頭の痛い問題です。中には、工作員も紛れ込んでいることでしょう。彼らによるテロのリスクが更に高まりますが、今度は化学兵器に加えて生物兵器も持ち込んでくる可能性があります。
 そして、工作員だけではなく、15日の軍事パレードで初めて登場した特殊部隊がまた一段と恐ろしい存在です。何でも、殺人を目的に訓練されていて、8万人も居るそうですが、日本国内に入り込むと殺人事件(一般市民から政府関係者まで対象になる)が発生する可能性も高まります。安倍首相だって狙われるかも知れません。
 1996年に北朝鮮の潜水艦が韓国に侵入、江陵市で座礁した際も、北朝鮮の工作員数名が逃亡、何十万という韓国軍兵士相手に逃走を続け、何人もの韓国軍兵士を射殺しており、その能力の高さがうかがわれます。

 何かと緊張の高まった状況が続いていますが、北朝鮮が中国に25日の核実験実施を通告してきたという情報もありますし、アメリカのシンクタンクは核実験に向かって周囲住民を避難させる等の動きがでてきたことを指摘しています。さて、無事に済むのでしょうか?北朝鮮のノドン・テポドンに、サイバー攻撃は機能するのでしょうか?日本のパトリオットやPAC3は、飛来するミサイルの迎撃に成功するのでしょうか?
 27日が新月で、アメリカが北朝鮮を空爆を行うとすると、新月の日と言われております。まだまだ、25日、27日と北朝鮮問題は緊張が続きます。

最後まで、お読み頂き有難うございます。
かなり端折って書いているため、舌足らずの部分もありますが、御見苦しい点すみません。北朝鮮、金正恩がどこかで折れるのか、それとも周囲を粛清してきた「性格」そのままに、断末魔の叫びというか、暴走するのか、今週が一つのピークです。文化遺産の維持の為にも、戦争は回避したいところですが、さてどうなるでしょうか。





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何か足りないというときは、もっと足りないようにする

先ほど、NHKで、「SWITCHインタビュー達人たち 行定勲×宮本輝」を観ていました。正確にはチャンネルを変えていて、釘づけになってしまいました。
 30歳、デビュー作『泥の河』で第13回太宰治賞受賞された宮本 輝氏ですが、その時のエピソードを語っておられた、その本質的な凄さに打たれます。
 例えば、今日5枚書いた、で読み返してみたら何かものすごく大事なものが抜け落ちている、すると書き加える、ここも、あそこもと。そして、もう一度読み返すと、ますます離れていく。『泥の河』を書く前悩んでいたら、小説の師匠にしていた人が、僕が一生懸命書き加えたり、最初から大事にしていた書き出しとかを鉛筆でぴゃーっと全部消した。なにするんですか!と怒ったら、「ここからここを無しに書き始められたら、君は天才になれるんや」と言われた。けど、僕のお気に入りの7〜8行を勝手に消しやがってと腹立った。家に帰って、ふと夜中に師匠の言うとおり、そこをなかったものとして読み返したら、はるかに良かった。

“いかに削るか”。付け足していくのではない、書きたいものを書いてはいけない、“書かずに書く”。

金槌で釘を打つのも、力任せに打ったって釘は打てない、コンコンと金槌の重さを利用して打つ。こういうふうにして小説を書いていく。僕が最初に習ったのは、“取ってしまう”ということ。

何か足りないというときは、もっと足りないようにする。

 いや~ 凄い! こんな教えを受けて、更に書き足す行為は、「何も学んでないじゃないか!」と怒鳴られそうですが、「説明してはいけない!」。
 いくら説明しても、自分の考えている風景、世界を他人に追体験してもらうことはできません。本質を伝え、受け手が100人いれば100通りの受け取り方をして理解してもらい、尚且つ各々の人の受け取り方が一人一人「固有の」概念になっているのだが、本質は伝わっている。言い換えると(これがいけない!蛇足!!)、本質が各々の経験という衣をかぶって「現実」「経験」の中で理解されてゆく、とも言えるでしょう。
 未完成な形で伝えて、各々の中でその人の経験値で補完され、「その人に合った形」「その人にcustomize された形」完成されてゆく。未完成な形で伝えるゆえに、余計なものはそぎ落として、「(自分が)言いたいことは言わずに」伝えるには、伝え手の人間性・力量までもが問われます。

 能の舞台を思い起こさせてくれます。観る人が、その人の観方に従って、独自の世界を作りながら観ている。その為にも、「簡素」を通り越して、「未完成」な形で提示しているのです。表現している方は、「自分の描いた世界」「自分の価値観」を相手に押し付けることなく、相手が思い描いてくれた風景をそのまま受け入れ、その上で表現してゆくだけの「自由さ」であったり「許容量」が求められるでしょう。相手が思い描いている風景が、自分の伝えたいものとは異なっていても、敢えて許容するのです。
 元来、客観的な “fact” というものが、存在している訳ではありません。見る人各々の経験値に補完され、各々の中で形になって受けられてゆくのです。
 思いめぐらしてみると、2000年前にユリウス・カエサルが「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」と語っています。相手が「見たいと思う」形に見ている/理解しているのを許容するだけの力量が、語り手/伝え手には求められます。何かを語る、伝える evangelist の宿命とも言えるでしょう。
 もう一つ思いめぐらせてみると、アンデス地方原産の「トマト」は、乾燥した気候に順応していて、水分を採る為に細かい羽毛の様なひげ根が樹全体のあらゆる所に見られます。水を十分に摂取できない状況に置いて、自助努力を促す故に、甘くて素晴らしいトマトが得られるのです。

 今回は、「未完成の形で伝える」、本質以外の一切の夾雑物は削ぎ落とす、何か足りないというときはもっと足りないようにする、事により受け手の価値観で補完され伝わることを許容する勇気・胆力が表現者には必要ということを再認識させられます。
 人間は忘れる動物です。嫌な出来事を全部覚えていようものなら、不安神経症に悩まされることでしょう。それ故に、大切なことは、表現を変え、視点を変えながら時々思い出さなければならないということです。
 子育ても一緒だな~ と、つくづく思います。なかなか、本人が自己責任で、自分の足で立てるようになるには、親の価値観を押し付けることなく、本人の行動を受入れる必要があります。

今回は、如何でしたでしょうか?
伝わらない時には、説明してしまいそうになりますが、加えてはいけない削ぎ落とすことが求められる、という事でした。本質だけを不完全な形で伝え、相手の価値観で補完して頂く、いや~ 難しいですね。
自分の理解している概念は、自分の価値観の色眼鏡を通してできているので、そのまま相手に伝えようとはしてはいけない。相手の価値観で表現された姿を受け入れることが求められます。
また、一度能の舞台を観に行ってみないといけないですね~
今回も、最後までお読み頂き、有難うございました。
こうして、力不足ながらも blog が続けられるのは、皆さまのお蔭と、感謝・感謝です。



Vision & missionを忘れると、欲に走りがち

春分/春のお彼岸まであと1週間となってきました。
大分と春らしい陽が感じられるようになり、辺りの梅の花も満開です。皆さま、如何にお過ごしでしょうか。
 今週は改めて冷え込んだ日が続き、患者さんも体調を崩している方が多かったように感じられます。車のフロントガラスにも氷がはっていました。例年を下回る気温と冬に舞い戻った急な冷え込みに、かえって暖かい日が続いていたと理解できます。ひな祭りに続いて啓蟄、と梅も少しずつ開いて春の訪れをじわじわと感じていた頃が、なんとなく昔に思えてしまいます。
 今回は季節感を感じる話題で、旧暦大晦日の行事である節分祭・追儺式の豆撒き光景での雑感を少々書いてみたいと思います。やはり、旧暦大晦日の追儺式が季節感と情緒あふれていて、ストーリーとイベントとしての価値を感じられ、貴重と思います。このような伝統行事こそ、その意味・意義を理解し、残してゆきたいものです。
 京都吉田神社の節分祭・追儺式(2016年)を、YouTube の映像で見てみましょう。
京都吉田神社の節分祭・追儺式
 新暦でも、同じように6月と12月の最後の日には、半年間溜ってきた穢れを落とす大御祓が行われていますが、皆さんも参加されていますか?あの人形の紙に穢れを託してお納めするのと、歌を唱えながら茅の輪を3回くぐる会です。今年の夏越の大祓は6月30日(金)ちょっと参加するのが難しいかも知れません。

 さて、節分祭に話を戻しましょう。旧暦大晦日の行事の中で、節分祭豆まき式(のみ)を実施している神社仏閣は沢山あります。元来、節分祭は新春を迎える神事です。節分とは現代では二月四日の立春の前の日をさします。一年の初めの立春の前の日、つまり大晦日にあたります。一年の「節」は立春、立夏、立秋、立冬の各々前日の4回/年ありますが、行事として力を入れるのは、立春の前日ということになります。
 こういった、「新年を迎える」行事を本格的に催している神社は少なく、大多数は神社でお祓いを受け心身を清めた年男が福男となり福を与える為、 福豆とともに多くの福物を撒き、一年の一陽来復・家内安全・身体安全・除災招福・厄除けなどを祈願する祭礼となっています。
 お蔭で、「福豆・福物を撒く行事」に短絡的に理解されてしまっています。さて、その本来の意義が忘れられた行事の風景には、次のような気になるところが何点か見受けられます。
1) 神社でお祓いを受け心身を清めた年男年女の方々とはいえ、彼らが上から投げる福豆を取り争うのはいささか卑屈に見えてしまいます。
2) 行事・ゲームなので、楽しく出来ないものでしょうか? 自分だけ私利私欲に走ってしまうのではなく、お互いに協力してゲームを創り上げて欲しいものです。
3) ゲットすべきは幸運であり厄除けであって、福豆ではないのです。物欲に走って、我を忘れている姿は如何なものか?
江戸総鎮守 神田明神の豆まき風景です。

# Vision & missionを忘れると、欲に走りがち
 元来は、旧暦大晦日の一連の行事の意義を理解し、その中で豆撒きを位置付けて理解するべきものです。その中で、豆撒き風景だけが取り出され、実施される(庶民に受けがよく、庶民からは神社への期待でもあるのでしょう)と、どうもやるべきことがずれてくるようです。何のために行事を執り行っているのか、一連の行事の意義を理解していないのが最も問題なのでしょう。

 Vision & mission が置き去りにされると、物欲・金欲に走る光景はビジネスでもしばしば見受けられます。企業が存続する社会的な存在意義は、社会への貢献にあります。地域社会への貢献の面もあるでしょうし、国レベル、ないしグローバルレベルで社会貢献している企業もあるでしょう。その社会貢献を忘れ、利益を生みだすことがmission になってしまっている企業は皆さんの周囲にも沢山思い浮かべることができるでしょう。
 企業は、国に税金を納める立場であって、黒字を出してゆかないと存続できませんので、利益を生みだすことが必要です。赤字になったからといって、税金で補填してくれる訳ではありません。とはいっても、会社の存続のためという大義名分のために利益を追い求める姿は、顧客や社会の立場に立つと「一体、何のためのビジネス?」と見えてしまいます。大体、良い仕事は、製品でもサービスでも短期的には利益が上がらないのが世の常です。
 話が横にそれますが、東芝のような企業は軍事的な意味からも倒産させる訳にはいきません。国産半導体も、原発技術も、軍事産業として手放す訳にもいかなければ、技術の漏洩も何が何でも防がないといけません。
イノベーター理論
 Innovator 理論にあてはめて考えてみましょう。イノベーター理論とは、社会学者であるエベレット・M・ロジャースが1962年に提唱した、イノベーションの普及に関する理論です。消費者の商品購入に対する態度をもとに、新しい商品に対する購入の早い順から、社会を構成するメンバーを5つのグループへと分類しています。
ベンチャーで提供するような「これまで世にない」モノやサービスは、イノベーター(改革者=新しいものに真っ先に飛びつく人たち)しか顧客は現れません。彼らは「社会の価値が自分の価値観と相容れないもの」と考えている人たちで、自分の価値観に合った製品・サービスを採用します。図にあるように、製品寿命の約2.5% (概念的な数字ですが)にしか売れない訳です。開発資金がまだ回収できない状況ですね。
 社会と価値観を共有しているものの、流行には敏感な人たちアーリーアダプター(初期採用者)に受け入れられるようなステージになると、提供する新しいvalue が社会に認められる/受け入れられるようになってきたと言えるのでしょう。宣伝や成果を挙げてきた結果、次のステージに進める事ができた状況になります。彼らは、自分で考えて、判断し、行動できる勇気のある(?) 人たちなのです。換言すると、自分で考え、判断し行動している人は、社会でも10~20% 程度しかいないとも言えるでしょう。
 ですから、良い製品・サービスを世に問うても、直ぐに認められ、受け入れられる訳ではありません。Innovators やEarly adoptersの信頼を得て初めて次のステージに進むことができるのというステップを踏みます。いくら優れた製品でも、社会の信頼を獲得できないと売れないのです。実際に、優れた製品・サービスでも、世間の信頼を得ることなく消えて行ったものがほとんどなのです。詩人宮沢賢治の作品は、生前には「注文の多い料理店」1点しか出版されませんでした。出版社からも断られていたそうです。ゴッホも生前に売れたのは習作1点でした。逆に、ありふれた製品・サービスなのに、人とのつながりでビジネス展開できている企業・個人は、それだけ信頼関係を作り上げてきたともいえるでしょう。
 ベンチャーとは逆の行き方として、既にearly majority に入っている製品の類似品を少し安く売る、という手もあります。もう20年も前の話しになってしまいましたが、96年末に発売され翌97年に大きなブームを巻き起こした携帯型デジタルペット育成ゲーム「たまごっち」。そのブームに便乗する為、いろいろな偽物・類似ゲームがearly majority のステージから参入してきました。「本物の」たまごっちが品薄だった(early majority に対応できる生産体制が構築できていなかった)ため、低品質で低価格の類似ゲームで遊んだ人が多かった、という結果を生みました。

 Early majority に入った製品に時間を割いてしまって、次世代の製品開発のできない中小企業も沢山見受けられます。実際に企業の利益の源泉は、early majority ~ late majority の段階にある製品・サービスです。「注文は断らない」ポリシーの中小企業は多いと思いますが、全部引き受けてしまい、次世代製品への投資を怠っていると、ポートフォリオが薄くなり、現在のドル箱製品が売れなくなると会社も終わりになってしまいます。次世代投資には、R&D や、innovator とのコミュニケーション(今風の言葉では、リーン・スタートアップ)、新しいvalue を世間に受け入れてもらうための広報活動といったものが含まれます。
 いずれも、企業も個人も vision & mission を明確にして、世間の信頼を得てゆくからこそ、次世代を開拓する優れた製品・サービスのvalue が世の中に受け入れられてゆきます。世間は、お金を積み上げていく場所ではなく、信頼を積み上げてゆく場所ということでしょう。

 話を、節分祭・追儺式に戻しましょう。伝統行事なのですから、各々の立場の参加者が、執り行ってゆくに当たり自分の役割を果たして(これが個人の mission です)、いかに質の高い行事を執り行えるかが 祭・式全体のmissionになります。そのためにも、節分祭・追儺式の意義 vision を理解し、共有してゆく必要があるでしょう。豆撒きだけがピックアップされて、メディアでも「福豆」を取り合っている様子がフォーカスされている現状はどうかと思います。とはいっても、庶民の楽しみとして定着していますので否定するものではありませんが、節分祭・追儺式全体像を伝えないでいると、文化そのものが歪んでくるように思えてしまいます。
 今回の話題は如何でしたでしょうか?最後までお読み頂き感謝申し上げます。
皆さまも、良い三連休になりますように。



花音が天に召されました

皆さま、なかなかブログ更新できておらず、申し訳ございません。
今日は、悲しいお知らせをお伝えしなければなりません。
先日、2月17日19時40分 飼っていたウサギが天に召されました。
2010年の5月18日に家族の一員になって以来、ほぼ7年を共に過ごしました。ウサギの7歳は人間でいうと約70歳、寿命なのかまだ若いのか微妙なところです。こうやって写真みても、なかなか器量佳しでした。
かのん

 ウサギの消化管は繊細なバランスの上に成り立っているそうで、多くの飼いウサギが食物鬱滞などの消化管のトラブルで命を落とすようです。ウサギは、大きな盲腸をもっていて(小腸から大腸に繋がるところです)食べた草やハッパのセルロースをここで腸内細菌の力によって分解します。栄養が取れるか、生きていけるか、この腸内細菌にかかっているのです。食事が送られてこないと、胃腸の動きが悪くなり、腸内細菌のバランスが崩れてしまいます。ウサギは吐くことが出来ない動物なので、腸内細菌が作り出したガスや毒素が胃腸内に貯まっていき、更にバランスが崩れてしまうのです。
 ストレスでも、食べ物でも種々の原因により鬱滞が起こると、かなりやばくなっていきます。様子をみることなく、即獣医さん、とにかく腸を動かさないと状況が刻一刻と悪くなってしまう動物なのです。
 花音も、ペットシーツを食べて体調を崩してしまいました。年齢からしても、そろそろ妙な行動が出始める頃なのかも知れませんが、こうした異常行動に気が付くのが遅れてしまったのは、「いかに普段からちゃんと見れていないか」という事でもあり、家族の一員と言いながら実際の対応は飼い主失格、と反省してもしきれない痛恨のメッセージをもらうことになってしまいました。
 いつも微妙な変化も感じ取れる位に、よく観察し、面倒をみていたら、こういったストレスや高齢化による異常行動のリスクも管理できて、要介護ウサギまで行けるのでしょうね。今回は、しばらく工事の騒音が続いていたので、これがストレスになっていた可能性もあって十分対応できていなかったのが、今となってはとても悔やまれます。ウサギは繊細で臆病な動物で、工事の音・におい、猫の鳴き声、飼育ゲージの場所移動、えさの種類の変化、気温の急変、飼い主の変化、など主に環境の変化に敏感に反応して、ストレスになってしまうのです。

 彼女は暑くても寒くてもじっとケージの中に座っているもの言わぬ存在でしたが、実に沢山のことを教えてくれました。
 ウサギは繊細で臆病な動物です。ウサギは攻撃手段をもっていない動物ですので、自然環境では常に天敵に注意を払っていないと生き延びることはできません。こういったウサギの特性を如何に十分理解することの大切さ、人間にとって何でもないことでもウサギにとってはストレスになってしまいます。階段を駆け下りる生活音でさえ、ウサギにとってはストレスになりますし、犬や猫といった他のペットが同居しているのも、ストレスになっているのです。
 これだけ気を使う、しかもウサギの常識を理解してあげないといけない動物ですので、飼うならかなり気合を入れて、手抜きせずに飼育する必要があります。仕事も人付き合いも一緒だと思います。とにかく、span of control を越えると手が回らなくなってしまいます。
 人間の常識とはまた異なる世界に生きている動物ですから、一つ一つ理解して、気持ちを通じさせるというかコミュニケーション取れるようになる所に、飼っていてよかったと楽しみを感じられる動物です。

 しかし、その花音はもうそこには居ません。これまで、7年近く共に家族でいてくれて有難う。なかなか理解してあげるのが難しく、必ずしも良い状態で飼育してあげることができなくて本当に申し訳ないことをしてきました。一つ一つ理解しあえるようになる、彼女が教えてくれたメッセージを思い出して活かしてゆく事が、彼女の供養になるでしょう。
 これまで有難う、そしてさようなら。私があの世に行ったら、また一緒になれると嬉しいのですが。


Student Apathy(無気力症候群)

クリスマスの一日、皆さまはどのようにお過ごしになられましたでしょうか?
 クリスマスイブの街も華やかでしたが、イルミネーションも一時に比べて少なくなり、人出もやや少なく落ち着いた様子に変わってきたように感じます。
 今年は、クリスマス前には春のようなポカポカ陽気で、ケーキ屋さんは大変だったようです。この季節、例年ですと用意したクリスマスケーキを部屋の中において自然の寒さに任せて保管しているそうですが、今年の気温ではそうはいかず、かといって冷蔵庫に入る訳でもなく、急遽保冷車の手配に大わらわといったお店もあったようです。

 さて、今回は、スチューデント・アパシー/無気力症候群をテーマに取り上げてみたいと思います。一般には「甘え」と誤解されることも多いのですが、叱咤激励するだけでは脱出できない所が単に「甘え」で解決できないところがあります。
 その本質は、「目標を失った」「自分が何をやりたいのか解らなくなった」といった自立できていない自尊心の低さにあります。薬物療法には有効なものはなく、カウンセリング・コーチングによる対応が必要になってきます。
 スチューデント・アパシーを「大辞泉」で引いてみると、「学生無気力症。学生が勉学などに関して無気力になり、非生産的な生活をすること。→五月病 (ごがつびょう) 」と書かれているように、若い男性・学生に多い疾患概念でした。本人が困っていることが少ないので、「病気」と呼んでよいかどうかは問題ですが。最近、学生だけではなく、社会にでてからも「自分がやりたいことがない」「仕事にやりがいや価値を感じられない」社会人に増えてきているように感じており、ここで話題に挙げてみることにしてみました。

# Student apathyとは?
 学業・就職への意欲や活動性を失って、持続的に無気力・無関心・無感情の心理状態に陥る大学生の『スチューデント・アパシー(アパシー・シンドローム)』の問題を初めて概念化したのはハーバード大学の臨床心理学者P.A.ウォルターズでした。我が国だけではなかったのですね。我が国では、1960年代、笠原 嘉先生が大学の長期留年者の中に特有の無気力状態を呈する青年が数多くいることに気付き解析され、「退却神経症―無気力・無関心・無快楽の克服」 (講談社現代新書)としてまとめられた「退却神経症」の概念とほぼ重なります。
 また、「無気力症候群」という用語も存在します。無気力症候群とは、「特定のことに対しての無気力・無関心などが続いている」状態で、無気力の対象は学生ならば学業、社会人ならば仕事といった「本業」になります。つまり、スチューデント・アパシーよりも少し拡大・一般化した概念です。その原因、病態が雑多なものを包含しているので、確かに「症候群」としてまとめるのが適切と思われます。
スチューデント・アパシー、無気力症候群の特徴には、次のような点が挙げられます。
・ 症状が無気力・無関心・無感動に限定
・ 本人は困っていない/病識がない
・ 特定の対象に対して無気力
・ 主体性がない、人格形成が未熟

 「症状が無気力・無関心・無感動に限定」:例えばうつ病であったら睡眠障害、食欲低下、意欲低下といった症状を伴いますが、スチューデント・アパシーでは夜も眠れる、問題なく食事はできますし、「学業」以外遊びに行ったり日常生活上での意欲低下は認められません。
 「本人は困っていない/病識がない」:このスチューデント・アパシー/無気力症候群の特徴です。本人が悩み、苦しんだり、焦ったりするとことがありません。
 「特定の対象に対して無気力」:上記のように、「学業」以外遊びに行ったり日常生活上での無気力は認められません。
 「主体性がない、人格形成が未熟」:これまで、親・先生が喜ぶから、言われたからやっている、だけで自主的に興味をもつことなく取組んできており、「自分で考えて行動しなさい」と言われて、何をすればよいか解らない状態です。勉強を単なるハイスコアを競うだけのゲームとして捉えてきた面もあるでしょう。

# 単なる「甘え」、うつ病とは異なる
 小さい時から、「勉強にやる気がなくて、遊んでばかりいる」のでしたら、確かに「甘え」でしょう。しかし、スチューデント・アパシー/無気力症候群ではむしろ、発症する前は「良い子」で、親や先生に言われた通りに勉強をするというケースが多いのです。多くの場合、大人からの評判も良く、それまでの成績も優秀です。そういう子がスチューデント・アパシーに陥りやすい傾向があります。
 また、「うつ病と異なる」というのは、前のパラグラフで述べたように、うつ病であったら睡眠障害、食欲低下、意欲低下といった症状を伴いますが、スチューデント・アパシーでは勉強に対して意欲が湧かない以外の点は問題を認めません。
 実際に、うつ病は「気分障害圏」に分類されますが、無気力症候群(退却神経症)は、「神経症圏」に分類されることが多いようです。

# どんな人がなりやすいでしょうか?
 スチューデント・アパシー/無気力症候群になりやすい人の特徴として、まず「勝ち負けに敏感」という点が指摘できるでしょう。自己の価値を勝敗や成績の優劣で評価する人は、良い結果を出しているうちは表面的な問題がマスクされています。しかし、他者と比べて自分が劣っているという結果に直面した時に、自分のアイデンティティが崩れてしまいます。自分の長所と思っている所でも他人より劣っているといった場合に、崩れていく結果に陥りやすいと思います。「敗ける」ことが受け入れられないなら、始めから棄権して、避けて通ろうとする発想です。
 次に、「完璧主義」も特徴的でしょう。失敗した時にアイデンティティが保てなくなるのは、上記と同じです。「失敗した場合にも、自分の価値は揺らがない」と思える人がレジリエントです。
 3番目に、「良い子」に多くみられるのは、前のパラグラフに述べた通りで、大人からの評判も良く、それまでの成績も優秀な子が多く発症する傾向にあります。

# その背景を考える
 上記の特徴でも述べたように、「良い子」を演じていて、自分のために頑張ったのではなく、親・先生の期待に応えるために頑張ってきた子に見られる傾向があります。自分で将来を考えたり、目標を定めたり、自分で考えて行動するのが苦手な傾向があります。
 高度成長期以前の社会でしたら、兄弟が何人もいて、下の子の世話は兄姉がやらないといけない状況があったり、学業も早々に切り上げて世間で働かないといけない、といった早期に自立を促す状況でした。今では、核家族化に伴い親も子供に手を掛け、また社会も豊かになった分何でも与えられる状況に変化しました。昔の子供は、原っぱに土管一つあれば自分達でどうやって遊ぶか工夫して生みだしていましたが、今の子供はゲームなど魅力的な出来合いのおもちゃが溢れ、自分で工夫する余地などありません。
 ですからこそ、レゴ等の種類のおもちゃが独自の存在価値を保っています。
 塾、学習塾、予備校に行っても、自分で考えだす暇はなく、さっさと先生の工夫を凝らした(?)教材が与えられ、それを暗記するだけといった状況に陥ります。
 こういった「自分で考えなくても良い」、社会にモノと情報の溢れる状況が加速されてきているのです。

 さて、こういったスチューデント・アパシー、五月病の学生はこれまでも一定の割合で認められました。受験勉強を終えて、これまで受験に合格する事が目標・ゴールだった学生が、改めて自分の目標、やりたいことをリセットするのですが、この状況についていけない学生が一定割合出ていました。高校時代は、自分のやりたいことをおぼろげにしか考えていなくて、入学後に改めて考えないといけない状況に向き合います。それでも昔は、哲学・宗教・文学などを論じ合える環境がまだありましたが、現代の学生気質にそんなものはありません。また、レジャーランド化した日本の大学では、遊んで・バイトに時間を費やして、社会に向き合うのを就職活動まで先延ばしにできる環境が整っています。大体、大学入学者枠の総合計の方が受験生の数が多いので、経営を考える大学はどんな学生でも来てもらって卒業させないといけない使命があります。卒業率が低いと、また文部省の監査で問題になります。

 元来日本は、農耕民族で村社会を形成してきました。村の中に溶け込むということは、「他人の価値観」で生きることにほかなりません。それでも、大家族の中で自立していかないと誰も助けてくれなかったり、口減らしに丁稚奉公に出されたり、中卒で就職したり、と早期に自立を促される環境にあってバランスが取れていたのかも知れません。

# ストレス社会のインパクト
  また、核家族化、少子化のため、コミュニケーション能力を鍛える機会が少なくなってきました。コミュニケーション能力が未熟なために、集団の中に入ってゆけず、人間関係もスムーズにゆかずに、ストレスを被るケースが増えてきているように思います。
 つまりは、本人側の自立できてない自尊心の低めの傾向に加えて、社会環境側としてストレスが高まった結果、「合わせて一本」(今度のルール改訂でなくなるようですが)みたいに症状が出てしまいます。

 何故、社会人に無気力症候群が増えてきたのか、と改めて考えてみますと、変化が加速化されこれまであった仕事が無くなってゆき、新しい仕事・過去に経験のない未知の状況に遭遇する機会が増えてきた為ではないかと思います。これまでは、やることを上司が指示してきて、それをこなしてさえいれば働いていることになり、会社もお給料を払ってくれていました。現代は、過去に経験のない仕事にチャレンジせざるを得ない状況が増えてきています。上司も経験がないので、指示をだすといっても「自分で考えろ」という事になってしまいます。従来の発想では「規格外」といえる場面や、業務が変化してゆく場面に直面して、自律的に行動できない、「自分が関心をもって仕事に取組めていない」ことを実感するケースが増えているように思います。
 同じ業務を10年経験してきた場合でも、つねに振りかえり、改善を重ねてきた人と、漫然と取組んできた人では、スキルもポテンシャルも異次元のものになってしまいます。「1万時間」の法則といっても、1万時間取組めば誰でも一流プロになれる訳でもありません。毎回振返り、改善を重ねられるのか、その仕事や取組んでいる事が好きなのか、それとも他人や世間に褒めてもらいたいからやっているだけなのか、取組み方が問われています。

今回のテーマは如何だったでしょうか?
皆さまの会社の経営、人材育成のヒントになれば幸いです。
今回も、最後まで目を通して頂き、感謝・感謝です。
なお、最後に参考までに 笠原嘉先生の提唱しておられる「アパシー・シンドロームの特徴」(1984年版)を引用しておきます。ご興味あられる方は、参考にされて下さい。

本年も1年間、みなさまには大変お世話になり、心より感謝申し上げます。
みなさまにとって、2017年が素晴らしい年になりますよう、祈念申し上げます。

【参考】
アパシー・シンドロームの特徴(笠原嘉,1984)

1.無気力・無関心・無感動があり、生き甲斐・目標・進路の喪失が自覚するだけである。神経症(精神障害)のように、不安・焦燥・抑うつ・苦悶・自責など自我異質的な体験を持たず、自発的な相談の来談動機に欠ける。

2.客観的行動は世界からの『退却・逃避』と表現される。苦痛な体験を内側に症状として形成することが殆どなく、もっぱら外に向けて行動化する。無気力・退却・裏切りといった陰性の行動化。

3.予期される敗北と屈辱からの回避として、本業(学業)からの退却が中心。

4.病前はむしろ適応が良すぎるほどの人である。しかし広い意味で強迫パーソナリティ(黒と白の二分法の完全主義・攻撃性と精力性の欠如が共通)

5.治療は成熟を促すための精神療法となるが、アイデンティティ形成の困難、心理社会的モラトリアムの不可欠さを十分理解する必要がある。(治療へのモチベーションがないことが最大の問題点)

6.症状と経過から少なくとも二類型を考えることができる。
(1)退却が軽度かつ短期で、ほとんど自力で回復してくるタイプ。
(2)ボーダーライン群と称するもので、一過的に対人恐怖、軽うつ、軽躁、混迷状態、関係被害妄想を呈する。(統合失調症への移行例はない)

7.いわゆる登校拒否症(現在の不登校)の中に、この病態の若年型を見出し得る。鑑別を必要とする類型としてはうつ状態と分裂気質(統合失調質)とがある。典型例においては鑑別は容易であるが、時に困難なケースで出会う。




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プロフィール

scaramouche

Author:scaramouche
I am an Executive coach, Consultant and Negotiator working in Tokyo, Japan. In charge with develop people, leadership management and motivation management, supporting president level, executive level and organization level.
Concurrently a visiting lecturer/researcher in Ohmae Kenichi School of Business.

After earning MD and PhD in medicine, I experienced medical practice as an anesthesiologist and ICU expert followed by scientific research work of molecular biology and molecular genetics. Following academic experiences, I joined to a global pharmaceutical company, and experienced Drug Discovery projects, Biomarker works in global Biomarker group, and Drug Development projects in the global context of drug development. Through my medical and business career, I have shown leadership involving internal and external stakeholders to create the value of projects.

Specialties: MBA (Business strategy, Marketing, and People Development), GLLC Certified Coach, JCA Certified Medical Coach, ABNLP Certified NLP practitioner, JNLPA Certified NLP practitioner, JSNS Certified Negotiation analyst, MD.Sc, PhD (Medical), Faculty Fellow of Pharmaceutical Medicine, Certification by the Training course of Biomedical Ethics and Law (Tokyo University).

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